テキトーヨシダのブログ(テキトーヨシダ氏の秘書が作成)

こちらでは、写真や日常的なことに対して本音を書いている辛口ブログとなっております。

東日本大震災の影響で、福島第一原発事故による帰宅困難区域 〜かさこ塾大船渡フェスタの帰り〜

先月、かさこ塾大船渡フェスタだった。
フェスタ終わり、帰りは塾生の車で茨城県守谷市まで帰り、
つくばエキスプレスで移動する予定だった。

やっぱり今でも忘れられないので、
気持ちの整理を含めブログに残すことにした。

 

フェスタ終わって、一関駅経由し、帰宅することに。
途中、高速入りドライバー交代で私が運転することに。

(*運転前に1日自動車保険加入しているので、他人の自動車も問題なし)

 

運転し、途中常磐自動車道に入った。

移動途中、数キロごとに出てくるのは、放射線量の看板。
南相馬へ近づくにつれ、放射線量が増えていた。

途中、
南相馬〜常磐富岡IC間が、工事のため夜間通行止めだったので、一般道へ。
約30キロの国道6号線迂回ルートだった。

 

南相馬ICで降り、国道へ出る途中見たものは・・・

「帰宅困難区域」という看板とバリケード。

 

バリケードの先はご存知の通り、
東日本大震災による福島原発事故の影響で
帰宅困難となったエリアである。

 

*詳細はこちらにて
避難指示区域の状況 - ふくしま復興ステーション - 福島県ホームページ

 

南相馬IC出てすぐ、
1箇所だけゲートがあり、門番がいた。
そこは許可証がないと入れないゲートである。

 

この看板を見た時、ここから内側は入れないというのと同時に、
切なさを感じた。

言葉に出せない切なさ。

夜に通行したこともあり、暗さが一層引き立った・・・
場所柄も重なり、すごく静かだった。

 

そして国道6号線に入り、しばらく走行。
車の量もやたら少ないように感じた。

「これが福島第一原発の爪跡なのか・・・」

そう思いながら、
切なさと空しさを胸に秘めたまま、ひたすら移動した。
他で唯一覚えていたのは「福島第二原発」交差点の信号機だった。

これ以上の言葉はなかった。

 

写真は運転中&帰りの時間を気にしながらの移動だったので撮影せず。
国道移動中も、帰宅困難区域による関係看板が至る所で見かけた。

 

こうして思うのは、真の意味での復興はまだまだだと。
しかし、協力できることは微力ながらでもやっていこう。

そう思いながら帰宅困難区域を後にして、
常磐富岡ICに入り、茨城県入ったところまで運転し、交代した。

 

時間は終電超えだったので、この日は守谷市ではなく、
つくば市内の仮眠施設のある温泉で休み、
翌日帰宅したのであった。