起業家の後方支援「出張専門プロフィールカメラマン」よしだひろふみの公式ブログ

こちらでは、写真や日常的なことに対して本音を書いたブログです。

上司が変わり一時的に落ち着くも、ワンマン隊長で精神的疲労に。 〜公務員の回想録2〜

 入院して半年後、平成6年3月から復職し、
とりあえず平穏になり、平成6年4月からは一部上司が異動で変わった。

 

上司が変わり、いろいろと不条理が減った。

そんな中、新しく変わった上司は仕事について厳しい方だったが、
私の事情も理解してくれていて、愛情あると感じた。

 

そんな上司から言われたのは・・・

「うつ病で通っている病院を変えろ」という指示。

 

これって、どういうことかというと、

「今のまま同じ病院を続けたら障害年金の対象になるし、今後に不利になる」

という理由。

 

ということで「新規通院」という形で早速病院を変えた。

そこでは前の病院と違って、ずっと環境的に変わった。

 

・薬づけ基本だったのが、薬いただくも強制されなかった

・3分診療当たり前が、話を聞く医師だったのもあり、かなり聞いてくれた

 

薬については数回通って医師に「今は調子悪い時だけ飲んでます」と言ったら、
理解されていて、何も叱られることもなかった。

そうして、徐々に精神的に落ち着き、通院回数が減り、脱病院となった。

 

そして、平成9年4月に燃料の在庫管理の仕事へ、
12年4月に共済組合に異動したのであった。 
平成12年の移動後、
1年間は平穏だったが、ここでワンマン隊長が異動で着任した。

 

隊長は完全なるワンマンでパワハラも当たり前、
所属している隊員の9割が沈み、死んだ魚の目のようになっていた。

例外なく事務所内も同様で、上司同士のケンカもあったほどだった。

決裁は基本、
一部の簡易な内容について、委任決裁という形で対応できるが、
それすら認めない隊長だった。

調達にしても1円だろうと、すべて隊長を通す。
(一定金額以下の少額調達は基本委任決裁)

やりたい放題のオンパレード。

 

14年4月の異動が出た3月の中旬、
そんな隊長に、ある決裁で、何度も門前払いされ、不条理がひどいあまり、
睨みつけ、ついにキレる寸前だった。
今思うと、ストレスのピークだったと思う。

隊長室の灰皿を思い切り投げてぶつけようと思ったが、
さすがに犯罪事案になるので、そこは抑えた。

 

精神的に疲れた中、14年4月に異動したのであった。

前職場の環境の酷さは異動先の職場にも情報が入っていた。
そこの場は無難に2年間過ごし、異動したのであった。

 

ところが、嵐のラスト2年半になるというのは、
ここでは予想しなかった・・・